「キリの良い数字」が入札を歪める——ラウンドナンバーバイアスの研究から学ぶ価格戦略
目次
- ラウンドナンバーバイアスとは何か
- オークションデータが示す「ラウンド入札」の実態
- なぜ人は「キリの良い数字」に引き寄せられるのか
- 不動産市場に見る「端数価格」の効果
- 「精密な数字」が交渉力を高める理由
- よくある質問
- まとめ:「キリの良さ」を一度疑ってみる
1. ラウンドナンバーバイアスとは何か
「ラウンドナンバーバイアス」とは、人が意思決定を行う際に、100、1,000、10,000といった「キリの良い数字」を無意識に好み、選んでしまう心理的傾向を指します。
このバイアスは日常のさまざまな場面に現れます。
- 価格設定:2,000円より1,980円の方が「安く」感じられる
- 交渉:キリの良い金額より、端数のある金額の方が「よく検討された金額」に見える
- 目標設定:「9,800歩」ではなく「10,000歩」を目標にする人が多い
そしてこの傾向は、オークションの入札行動においても確認されています。
2. オークションデータが示す「ラウンド入札」の実態
2025年に発表されたNBER(全米経済研究所)のワーキングペーパー「Round Bidding in Auctions」(van Oldeniel, Snyder, Soetevent)は、オランダの大手オンラインオークションプラットフォームにおける数十万件の入札データを分析した研究です。
この研究では、入札者が5や50の倍数といった「キリの良い数字」で入札する傾向が明確に確認されました。倍数となる数字が理論上は入札可能な数字全体の一部を占めるに過ぎないにもかかわらず、実際の入札ではその割合を大きく上回って集中していることが示されています。
興味深いのは、この傾向が入札の経験を積むにつれて弱まっていくという点です。研究チームは、ラウンド入札が戦略的な意図(競合の目を引くための「ジャンプビッド」など)によるものというより、行動バイアスの表れである可能性を指摘しています。
同研究の推計によると、入札者の中央値で21%程度がラウンドナンバーバイアスの影響を受けやすく、その結果として得られたはずの利益(期待余剰)を約10%失っているとされています。
さらに、ラウンド入札で落札した価格は、同一商品の平均落札価格よりも高くなる傾向があることも示されています。つまり、ラウンド入札は「落札はしやすいが、その分多く支払っている」可能性がある、という結果です。
3. なぜ人は「キリの良い数字」に引き寄せられるのか
こうした傾向の背景には、いくつかの心理メカニズムが関係していると考えられています。
メカニズム1:思考の「ものさし」が粗くなる
米国フロリダ大学の研究者らが行った実験では、参加者に5,000円、4,988円、5,012円という3種類の小売価格を提示し、そこから卸売価格を推測してもらいました。その結果、5,000円というキリの良い価格を提示されたグループは、他のグループに比べて大幅に低い卸売価格を推測する傾向が見られました。さらに、5,000円を起点にした参加者は、推測した卸売価格自体もキリの良い数字になりやすいことも分かりました。
この研究では、キリの良い数字を起点にすると、そこから離れて考える際の「刻み幅」が粗くなり、価格の細かな違いを見落としやすくなると説明されています。
メカニズム2:左桁バイアス
「左桁バイアス」とは、数字の最初の桁に注目が集中し、それ以降の桁の違いが過小評価されやすいという心理傾向です。例えば3,990円は「3,000円台」として認識され、実際の差がわずか10円であっても、4,000円より大幅に安いという印象を与えることがあります。
メカニズム3:認知的な参照点としての機能
キリの良い数字は、人の思考における一種の目標や基準点として機能しやすいと考えられています。「5万円を超えたい」という基準が無意識のうちに入札額の目安になり、その基準を満たした満足感が、実際にはそれ以上の金額を支払っている事実を意識しにくくさせている可能性があります。
4. 不動産市場に見る「端数価格」の効果
左桁バイアスの影響を裏付ける研究として、スウェーデンの住宅オークション市場を分析した研究(Repetto & Solís)があります。
この研究によると、提示価格がキリの良い金額(例:400万クローナ)のすぐ下に設定された物件は、オークション後の最終価格が3〜5%高くなる傾向が確認されました。この効果は、物件そのものの特性や不動産業者の行動の違いでは説明がつかないとされています。
さらに、キリの良い金額の直下に価格設定された物件のオークションは、より多くの入札者・入札件数を集める傾向があることも示されています。
これは、出品価格を「キリの良い数字のすぐ下」に設定することで、閲覧者に心理的な「割安感」を与え、結果として競争が活発化し、最終的な落札価格が上がる可能性を示唆しています。
5. 「精密な数字」が交渉力を高める理由
企業のM&A(合併・買収)における入札を分析した研究(Hukkanen & Keloharju、ハーバード・ビジネス・スクール関連の研究者らによる)では、キリの良い金額ではなく端数のある精密な金額で入札を行った買収者の方が、提案が受け入れられやすく、かつより低い価格で買収できる傾向があることが示されています。
この背景には、精密な数字がその金額を算出するために十分な検討や情報収集が行われたという印象を与えやすく、相手側の交渉における譲歩を引き出しやすくなるという考え方があります。逆にキリの良い数字は、「大まかな見当」という印象を与えやすく、真剣な検討がなされていない提案と受け取られるリスクがあるとされています。
この知見をオークションに当てはめると、出品者は開始価格を「5,000円」ではなく「4,980円」のような端数に設定することで、入札者に「よく検討された価格」という印象を与えられる可能性があります。同様に、入札者も「10,000円」ではなく「9,800円」のような具体的な金額で入札することで、自身の判断がより明確に伝わりやすくなると考えられます。
6. よくある質問
Q1. ラウンドナンバーバイアスは、すべての人に同じように影響しますか?
A. 紹介した研究では、入札経験を積むにつれてこの傾向が弱まることが示されています。すべての人に一律に影響するわけではなく、経験や商材によって程度は異なると考えられます。
Q2. 出品価格をキリの良い数字の直下に設定すれば、必ず落札価格が上がりますか?
A. 研究では傾向として3〜5%程度の上昇が確認されていますが、必ず同じ効果が得られるとは限りません。商材や市場環境によって結果は異なります。
Q3. 入札者として、どのような金額を設定すればよいですか?
A. キリの良い数字をそのまま使うのではなく、自分がその商品に感じる価値を具体的な金額に落とし込むことをおすすめします。端数のある金額にすることで、無意識の過剰入札を防げる可能性があります。
Q4. この研究結果は、どんなオークションにも当てはまりますか?
A. 紹介した研究はオンラインオークションや不動産市場、M&A市場を対象にしたものです。商材や取引の性質によって、効果の程度は異なる可能性があります。
Q5. システム側で、ラウンドナンバーバイアスを軽減する工夫はできますか?
A. 入札額の入力欄のデザインや、過去の落札価格の見せ方を工夫することで、キリの良い数字への偏りを和らげられる可能性があります。
Q6. こうした知見を出品者向けにどう伝えればよいですか?
A. 「端数価格の方が有利な場合がある」という研究知見を、具体的な数値例とともに紹介することで、出品者が価格設定を見直すきっかけになります。
7. まとめ:「キリの良さ」を一度疑ってみる
この記事のポイント
1. ラウンドナンバーバイアスは「キリの良い数字」を無意識に選ぶ心理傾向 NBERの研究では、入札者の中央値で21%程度がこの影響を受けやすく、期待される利益の約10%を失っているとされています。
2. 「キリの良い数字」は思考の粒度を粗くする フロリダ大学の実験では、キリの良い価格を提示された人ほど、その後の推測も粗くなる傾向が示されています。
3. 左桁バイアスが「安さ」の錯覚を生む 数字の最初の桁に注目が集中し、それ以降の桁の違いが軽視されやすくなります。
4. 不動産市場では「端数価格」がより高い落札価格につながる スウェーデンの研究では、キリの良い金額の直下に設定された物件が3〜5%高く売れる傾向が確認されています。
5. 「精密な数字」は交渉力を高める M&Aの研究では、精密な金額の提案の方が受け入れられやすい傾向が示されています。
これらの研究はいずれも傾向を示すものであり、すべてのケースに当てはまるとは限りません。ただ、「キリの良い数字」を無意識に選んでいないか、一度立ち止まって考えてみることには、出品者にとっても入札者にとっても意味があると言えるでしょう。